建築創造の継続性としての民家再生
古民家を現代住宅に再生
●元物は南会津の中門造り農家
この家の架構の主体は,南会津南郷村に建っていた茅葺き寄棟屋根の,中門造り農家のも
のである。蛇足ながらここで中門造りについて述べておくと,この造りは秋田から新潟
にかけての東北地方日本海側に分布している農家型式で,東北地方太平洋側に分布する曲
り家と対置するが,いくつかの点で差異があるとはいえ,大まかに見れば共に曲り平面の
家,主棟から突出した部分に厩を持ち,折れ曲り部分を台所にする。
この家の原形の間取りは,主棟中央部に南北打ち抜きの広間があり,ここにイロリと玄関
があった。間取り系列から見ると東北地方に多い広間型で,玄関が異例だが,ここは後補と見ることもできる。広間から右手は座敷10畳と納戸の南北2室。左手は一段下がった板床で北に土間の台所,西は4畳半,3畳の2室と中間が入口になっていたが,このあたりは新材や合板が使われていて改造が著しく,間取りの元の姿は明らかでない。突出部は大半が物置化していて,便所が2ヶ所あり,土間の一隅に浴槽が置かれていた。
屋根は寄棟だが,突出部の棟端は小さく入母屋になっていた。広間上部の屋根には小さな煙出し穴があり,棟は宿根草を植えたくれ棟。柱間装置は1間の柱間に引違い板戸と1枚障子の3本溝。アルミサッシなどには全く取り代っていないで,数年前まで住んでいた家とは思えないほど古形をよく残した家であった。
●2K・2Fを排除して現代住宅に
民家を再生して現代生活のできる住宅にするためには,排除しなければならぬ4つの状況
がある。まず暗いこと,それから汚ないこと,さらには冬寒いこと,そして不便なこと,これを2K・2Fと呼んでいる。
1間の柱間に引違い板戸と1枚障子,欄間は板格子に紙貼り,しかも主室以外は無窓に近いから,民家というのは暗いものだ。屋根内は煤びて真黒だから眼を凝らしてもよく見えない。これを明るくするには1間間柱間装置の全面を採光面にし,主室以外では開口部を増やせばよいが,要点は屋根内を明るくすること,棟に天窓をとるのが最良と思う.
棟にとれば屋根面の美しさを損なわないで済むからで,内部では最も効率のよい位置になる。この場合,大きくし過ぎてはいけない。
汚ないのは造り直すからきれいになるし,不便さは間取りの改変と設備で自然に克服できるが,寒さ対策は元の家の造りようで変ってくるだろう。まず第1は隙間風をなくすことでこれは当然。そして床面,外壁面,屋根面の断熱を考慮すること。断熱材はフトン状のものよりボード状のもの,ウレタンボード,スタイロなどがよいと思う。この家の場合は床下は高目にしたコンクリート土間として湿気を切り,床下通気をはかった上で,根太間に断熱材を落し込んでいる。外周柱がおおむね4寸5分角なので,外壁面は通し貫下地の内外真壁でも断熱材を入れる余地があった。屋根面は垂木上に断熱材を流してからコンパネを打っている。この場合,考慮するべきことは,天井材で室内と小屋真空間を区画し,小屋真空間の外部との通気をはかることだ。この家の場合は,よしず天井の上にボード張りされていて,小屋真空開通気のために寄棟屋根を入母屋に改変している.
●屋根型の変化と間取りの変化
茅葺き屋根は鉄板一文字葺きに変えた。法的に草葺きでは駄目という理由もあるが,そんなことよりも,茅葺きを個人の力で維持してゆくことを強いられたら困るに違いないからだ。屋根形を変えたのは前記の理由もあるが,寄棟の鉄板葺きではあまりにも情ない姿になってしまうので,いくらかは誇りある姿を求めてのことでもあった。大棟の天窓間の越屋根はイロリの煙抜きであり,夏季の熱気排出のためでもあるが,それ以上に,鉄根屋根の貧相さをカバーするしつらえであった。西北隅を半坪増したこと,曲り部分南端で平面を半分切除したのも,屋根を鉄板葺きに改めたことでの屋根形整形のための処置である。
間取りの改変は,伝統的架構によるなら殆ど自在といってよいであろう。これが伝統的架構の持つ特質であるからだ。この家は住宅だけでなく,手づくり物なども売る喫茶店をひらく計画だったので,元の姿としては土間が多かったと思われる広間以西の部分が再び土間化し,ここが店になった。物置化していた曲り部分も現代の厩であるガレージにしたが,実際は作業場になっている。
●公庫融資の新築住宅として
資金が裕福にあっての建築ではないので,益子さんには無理を強いることになったが,彼の情熱は期待以上の仕事をしてくれた。実測,解体,久米蔵塗りなどには生活文化同人の有志に手伝ってもらった。この家は公庫融資を受けた新築住宅,古材を使っても新築ということは充分ありうるのだ。